サルけ/マワれ書店

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お金持ちになる女 なれない女の常識

money


 この本を手に取り冒頭を読んで衝撃を受けたままレジへ持っていってしまいました。
 この本は買うに値すると閃いて購入に走ったわけですが、そのわりに読み終えたあとはそんなに満足の質は高くありませんでした。
 しかし何度か読み返してみると、結構重要なことが書いてあるんですよね。

 金運のよい財布をとか、トイレをキレイに保つとか、金持ちになった自分をイメージするとか、他所でも見た話がいくつか含まれていたので、本の後半部分に目新しいものを見い出せなかったということが満足八分の理由かもしれません。
 しかし前半はとても新鮮な内容で、相当な影響を受けました。
 もちろん内容はここでは秘密です。口頭でも家族にしか伝えていません。
 買うなり立ち読みに向かうなり、自分で動いた人だけが知れるという私の意地の悪さです。
 しかし衝撃を受けたといっても、私以外の人にとっては常識だったのかもしれませんが。

 私、去年の今頃ぐらいまで、お金を持ちたくないと思っていたんですよね。
 お金を持ったときに自分の品性が汚くなるのを見ていたので、私はお金を持ってはいけない人間だなぁと思っていました。たくさんのお金を持つだけの精神力がありません、と。
(お金持ちになれない言い訳も含まれているとは思いますが。)

 それから物欲も年々減少傾向で、「お金があればこういうことができるのに」と思うことも無くなっていくんですよね。お金で叶えられることに関しては、可能な範囲のことで満足できる体質になっています。

 しかし、世の中の流れが自身に及ぼした影響も多大に関係していますが、やはりお金を持つ勇気すら無い状態では、大きなことを成したりもできないのだろうという方向に脳内の姿勢が動いてきています。

 でも(お金を必要以上に持っていた頃と比較して)お金の無い生活をしていると、今まで自分に絶対に必要だと思っていたものが実は大して必要ではなかったことに気付けたりしたのです。

 それに般若心経なんかも欲とかお金は無いほうが良いって言ってる気がするし…。
 私の場合、物欲が減っただけで他の欲はとてつもなくありますが。

 この本が言ってるのは、ガツガツ稼げということではなく、豊かであれということだと私は思っていますが、それにしたって般若心経などの教えとはどう折り合いをつけているのでしょうか。(だって対立しているようには見えないし。)
 私の浅知恵ではどちらの道理もそれぞれ通っているように思えます。

 でも私が本音の部分で信じたいと思っているのは、「人間は所有を始めた途端に持てるものが少なくなった」という例の説なのです。
(例の説というのは、この件は私がミクスィーなどで度々触れていることだからです。)
 原始の頃に遡って、ここからここまでが自分のものだなんて決めなければ、人は世界の全てを持てていたというお話です。

 この話をし始めると収拾がつかないし、今私が真剣に向き合える事項なわけでもありません。

 とにかく心を豊かに保つこと、それが今の私の一番の課題ですね。
 本日の名言に取り上げた部分は、この本で私がうなったランキング3位くらいのフレーズですね。
 私はお金を使うのが上手くないんだなぁ。

 必要としてお金を支払うこと以外に、自分の気持ちが高まったり、自分の心が癒されたりなごんだり豊かになったり、自分の成長に役立ついいものにお金を使えないでいると、お金を好きになることよりも、それをポジティブに手に入れることも考えにくいのです。
 いまよりもっとよろこばしくお金が自分のところに入ってくるのを願うなら、まずは、なにかひとつでもいいので(値段の高い安いに関係なく精神的価値で)、買ってうれしいものやよろこびあふれるものや、楽しくうきうきするものや、高揚感や幸福感あふれるものに、お金を使ってみて下さい。
著者佳川奈未
初版発行2006.10.3
発行PHP研究所
定価本体1,200円+税
入手場所博文堂
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  1. 2008/03/25(火) 16:52:27|
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友だちに「死にたい」といわれたとき、きみにできること

友だちに「死にたい」といわれたとき、きみにできること


読者に対して「きみは」という呼びかけをもって十代向けに書かれた本というわけで、十代ではない「大人」の立場としてこの本から学べるのは何なのでしょうか。

この本が何故十代向けに書かれているかを考えてみます。

おそらく、大人では子供の危機に気付けないからではないでしょうか。

大人が無力だというのではありません。
この本には再三、友達の自殺の計画を知ったら決してそれを秘密にしておかず、信頼できる大人に相談せよと書いてあります。
秘密にしておくことを友達に約束したとしても、たとえその子との友情が壊れたとしても絶対に誰かに相談することを強く勧めています。
その相談には大人の力が必要です。
しかしこの本に書かれているように、「多くの親は自殺をおそれ」、「『自殺だなんてウチの子には関係ない』と思ってい」るのです。

そもそも、私たちは暮らしている中で、他人の危機にそう敏感ではないと思います。
例えば会社で、「この中に自殺を考えている人はいないだろうか、もしそんな人がいたら私が見つけて助けにならなくては」と心得て生きている人がどれくらいいるのでしょうか。気にすることができてもせいぜい自分の親しい人くらいではないでしょうか。
「あの人は最近元気がないな」ということぐらいは思う時もあるでしょう。しかし、「おそらく彼の助けになれる人は自分以外にいる」と思っています。立ち入るべきではないとも考えています。

他人の苦しみまではわかっても、死が迫っているほど深刻であるかもしれないとはなかなか思えないものです。

私のごくごく個人的な見解ですが、まして親というものは子供の全てを小さく捉える傾向があるように思います。
「自分の子供がこんなしっかりしたことを考えていたなんて」という驚きもそれかもしれません。
子供の持つ「容量」を、実際よりもずっと低く見積もりがちです。
だから子供の抱えられる悩みの「容量」は、危機に至るほど大きくないと思ってしまうのではないでしょうか。
おそらくこの見積もりには、親自身の「容量」との比較も入ります。

本の中には、「わが子に自殺の考えがあると知ったら、頭痛の種が増えたと思」う親もいるとあります。

自分の人生がせわしない時は、自分のことしか見えなくなります。
他人の悩みよりも自分の悩みの方が重大です。
まして「容量」を低く見ている自分の子供が、自身よりも深刻な事態に陥っているとは思えないのかもしれません。
ニュースに取り上げられるような悲しい事態、つまり子供が自殺するという事態が自分の身に起こるとは思っていないというのも当然あるでしょう。

私が大学に進学した時に一番驚いたのは、「死にたい」と一度も思ったことのない人がこの世にいるということでした。
もちろん個々人の前向き度や打たれ強さもそれには関わってくるでしょうが、単に死にたくなるような深みに落ちた経験のない人が親になった場合、ますます自分の子供と自殺は結びつかないものであるかもしれません。

私はそういう親を責めたいのではなく、だからわが子と同世代の友達の方が、親よりも子供の危機に早く気付けるということなのではないでしょうか。
本の中にも書いてありましたが、自身をふり返ってみても、相談するなら親よりも自分の友達を頼ることが多かったと思います。

この本を理解した子供たちは、友達の危機のサインを見たら大人に相談するでしょう。
危機に陥っている本人のサインに気付ける大人であれればベストですが、友達の危機を知らせに来た子のサインすら ないがしろにする大人には絶対になりたくないものです。
その為に、自分の内側に余裕を持っていることがいかに大切であるか。
自分自身こそが今まさに人の助けを必要としていて、心の余裕なんてとても持てない時もあるでしょう。
だから、自らを取り巻く環境的に余裕を持てる立場の人は――つまり私は、持つ努力を精一杯しなければならないと思います。

 よい聞き手はいわば探偵のようなものです。
 相手のことばのなかに、気持ちを知るための手がかりをさがします。そして次のことに気をつけながら耳を傾けます。

●友だちが話していること
●友だちが話していないこと
●その両方から友だちがどんな気持ちでいるのか


※文字の強調は私が独自に加えたものです。
著者リチャード・E・ネルソン博士
ジュディス・C・ガラス
訳者浦谷計子
初版発行2007.8.10
発行ゴマブックス
定価本体1,200円+税
入手場所博文堂
  1. 2007/10/04(木) 02:26:22|
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