
読者に対して「きみは」という呼びかけをもって十代向けに書かれた本というわけで、十代ではない「大人」の立場としてこの本から学べるのは何なのでしょうか。
この本が何故十代向けに書かれているかを考えてみます。
おそらく、大人では子供の危機に気付けないからではないでしょうか。
大人が無力だというのではありません。
この本には再三、友達の自殺の計画を知ったら決してそれを秘密にしておかず、信頼できる大人に相談せよと書いてあります。
秘密にしておくことを友達に約束したとしても、たとえその子との友情が壊れたとしても絶対に誰かに相談することを強く勧めています。
その相談には大人の力が必要です。
しかしこの本に書かれているように、「多くの親は自殺をおそれ」、「『自殺だなんてウチの子には関係ない』と思ってい」るのです。
そもそも、私たちは暮らしている中で、他人の危機にそう敏感ではないと思います。
例えば会社で、「この中に自殺を考えている人はいないだろうか、もしそんな人がいたら私が見つけて助けにならなくては」と心得て生きている人がどれくらいいるのでしょうか。気にすることができてもせいぜい自分の親しい人くらいではないでしょうか。
「あの人は最近元気がないな」ということぐらいは思う時もあるでしょう。しかし、「おそらく彼の助けになれる人は自分以外にいる」と思っています。立ち入るべきではないとも考えています。
他人の苦しみまではわかっても、死が迫っているほど深刻であるかもしれないとはなかなか思えないものです。
私のごくごく個人的な見解ですが、まして親というものは子供の全てを小さく捉える傾向があるように思います。
「自分の子供がこんなしっかりしたことを考えていたなんて」という驚きもそれかもしれません。
子供の持つ「容量」を、実際よりもずっと低く見積もりがちです。
だから子供の抱えられる悩みの「容量」は、危機に至るほど大きくないと思ってしまうのではないでしょうか。
おそらくこの見積もりには、親自身の「容量」との比較も入ります。
本の中には、「わが子に自殺の考えがあると知ったら、頭痛の種が増えたと思」う親もいるとあります。
自分の人生がせわしない時は、自分のことしか見えなくなります。
他人の悩みよりも自分の悩みの方が重大です。
まして「容量」を低く見ている自分の子供が、自身よりも深刻な事態に陥っているとは思えないのかもしれません。
ニュースに取り上げられるような悲しい事態、つまり子供が自殺するという事態が自分の身に起こるとは思っていないというのも当然あるでしょう。
私が大学に進学した時に一番驚いたのは、「死にたい」と一度も思ったことのない人がこの世にいるということでした。
もちろん個々人の前向き度や打たれ強さもそれには関わってくるでしょうが、単に死にたくなるような深みに落ちた経験のない人が親になった場合、ますます自分の子供と自殺は結びつかないものであるかもしれません。
私はそういう親を責めたいのではなく、だからわが子と同世代の友達の方が、親よりも子供の危機に早く気付けるということなのではないでしょうか。
本の中にも書いてありましたが、自身をふり返ってみても、相談するなら親よりも自分の友達を頼ることが多かったと思います。
この本を理解した子供たちは、友達の危機のサインを見たら大人に相談するでしょう。
危機に陥っている本人のサインに気付ける大人であれればベストですが、友達の危機を知らせに来た子のサインすら ないがしろにする大人には絶対になりたくないものです。
その為に、自分の内側に余裕を持っていることがいかに大切であるか。
自分自身こそが今まさに人の助けを必要としていて、心の余裕なんてとても持てない時もあるでしょう。
だから、自らを取り巻く環境的に余裕を持てる立場の人は――つまり私は、持つ努力を精一杯しなければならないと思います。
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よい聞き手はいわば探偵のようなものです。 相手のことばのなかに、気持ちを知るための手がかりをさがします。そして次のことに気をつけながら耳を傾けます。 ●友だちが話していること ●友だちが話していないこと ●その両方から友だちがどんな気持ちでいるのか ※文字の強調は私が独自に加えたものです。 | |
| 著者 | リチャード・E・ネルソン博士
ジュディス・C・ガラス |
| 訳者 | 浦谷計子 |
| 初版発行 | 2007.8.10 |
| 発行 | ゴマブックス |
| 定価 | 本体1,200円+税 |
| 入手場所 | 博文堂 |